実は最近、ものすごーーーーーく久しぶりに
会えた人がいました。
サクセスから20年くらい前に旅立ったHくん。
唐突に電話がかかってきて、たまたま時間が
合ったので急遽ランチしたのです。
今、彼を覚えている人は少なくなってしまった
のですが、ものすごく変わった子だったので
覚えている人のなかではちょっとした伝説です。
私がサクセスに入社して間もない頃、、、
当時の求人誌フロムエーを握りしめてアポなしで
19時くらいにサクセスのドアをノックし、
「これを見たんですけど、、、!!
面接おねがいします!!!」
と、勢いよく入ってきたのが彼です。
彼は当時まだ17か18になったばかりで、高校を
中退して広島からママチャリにPCをくくりつけ
一人で上京してきました。
二回言いますけど、ママチャリでです。
サクセスに入ってきた時の姿は今でも鮮明に
覚えています。
ネルシャツにデニム、髪は伸び放題でボサボサ。
一本に束ねた長髪はところどころおくれ毛が。
はっきり言って異様でした。笑
でも、Hくんの真剣なまなざしにはなんだか純粋
なものを感じ、当時の社長もそれを感じてか、
話してみる事に。
彼はプログラマーになりたくて独学でいろんな
言語の勉強をしたりコンピュータに関する知識
は若いのに素晴らしいものでした。
昔から思い込んだら一直線気質の彼は、親の
反対を押し切って高校をやめてお金もないのに
えいっ!と上京してしまったのです。
情熱に負けたのと純粋に彼を気に入った社長は
入社させる事に。
とは言っても、しばらくはまだお客様に出せる
状態ではないので3か月くらいは事務所に常勤に
したので私とはしばらく毎日一緒にいました。
会社としてまずは、何も持たない彼に住むところ
を急いで探し、スーツなど社会人デビューに必要
なものを与え、マナーを教えたりなどを少しずつ
していきました。
好奇心の塊みたいで、好きな事は夢中になって
話し、いろんな人と積極的に関わってみては
彼なりに何かを吸収して視野を広げていったHくん。
天然記念物レベルのものすごいピュアさをもって
いたので、私も彼と話すのが楽しくてHくんが
事務所にいた頃は毎日楽しくて仕方ありませんでした。
覚えている会話で印象的だったのは、、、、
広島から東京までの旅について聞いた時のこと。
私:「所持金ほとんどない状態でよく思いきったねー
野宿しながら来たの???」
H:「は、、はい。季節が秋という事もあり、
の、、野宿はなんとか、で、できました。
秋の実りの時期だったので、山にはいって
お腹すいたら木の実とかも、、、た、、
食べたり、、、、(笑顔)」
そんな彼は、社長の想像通り、のみこみも早く
どんどん優秀なプログラマーに育っていきました。
夢も大きく、次から次へと新しい事をしていき、
大きな仕事をしていく為に20代半ばでサクセス
から旅立っていきました。
それからも、たまーには連絡をくれたのですが、
九州の方の大きな会社に行ったあたりから
いつしか連絡は途絶えてしまいました。
たまに、風の噂で、大きなプロジェクトを一人
で任される程の人になった事や結婚して2児の父
になった事などを知って、あのHくんが父親かー
なんて思いに浸ったりもしました。
一緒にランチを食べた日からまたしばらくして、
Hくんが今でも繋がりのあるサクセスの昔の
メンバーも含めて先日飲み会もして、そこでも
20年ぶりの再会があり、懐かしさでいっぱい
になりました。
Hくん、現在はフリーランスでエンジニアを
しており、もう45歳にもなってしまいました
が、経験や知識により成長と変化はうかがえる
ものの、ピュアさレベルは相変わらず国宝級。
話を聞く時に相手の目をまっすぐ見るその目が
今もキラッキラなのですよね。
(目はつぶらなのですが、なんていうか目の奥ですね)
ITの進化や自分がこれからやっていきたい事への
思想や夢も相変わらず大きく、かといって素朴さ
と謙虚さは失わず信念もありブレがない。
そして何事も常に新しい挑戦へひるまない。
Hくんと話していると、何歳になってもなんでも
できるんじゃないかなという気持ちになります。
信念を持ち、自分らしく生きる事の大切さ
みたいなものを再確認しました。
もっともっと、自分で自分を信じてあげる事が
大切なのに、日々の生活にまぎれてそんな大切な
事を忘れていたような、そんな気持ちになりました。
誰しもきっと自分が思っている以上の力を持っています。
それをみんな思い出せばいいだけなんですよね。
あとは、大人になりすぎない事って大事だなと。
その方が断然、人生は楽しい!
Hくんとの再会で懐かしさと共に改めて学びがある時間を過ごせました。
Hくん、ありがとう!
ランチした時のHくんです
↓
それでは皆様、また来週~